2016年4月、KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)のサテライトイベント『KG+』の参加展覧会として、荻野NAO之写真展『閒 会』(まかい)を、清課堂にて開催しました。展覧会期間中には、さまざまなテーマのもとゲストを迎え、荻野NAO之氏とのトークイベントを全5回開催。そこで繰り広げられた話題を振り返り、荻野NAO之という作家の思考や、その根底にある世界に迫ります。
第1回目のゲストは、ベルギー・アントワープで“日本に関連した写真”を専門に扱う『IBASHOギャラリー』のオーナー、アンヌマリー・ゼトフ氏。ギャラリー設立の背景や、所属作家である荻野氏との出会いやその作品、そして日本と西欧の写真マーケットの展望について、対談してもらいました。
あらゆる角度から写真に触れた経験
荻野NAO之(以下 荻野):
皆さん、今日はお越しいただきありがとうございます。いま僕は、2016年KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)のサテライトイベント『KG+』の参加展覧会として、清課堂さんで写真展をやらせていただいています。
その一環で、全5回のトークイベントをやらせてもらうことになりました。第1回目の今回お話をうかがうのは、ベルギーの大都市アントワープにある『IBASHOギャラリー』のオーナー、アンヌマリー・ゼトフさんです。
『IBASHOギャラリー』は、日本に関する写真を専門に扱うギャラリーで、アンヌマリーさんご夫婦が2015年に立ち上げられました。私の写真も、2015年から取り扱ってもらっています。そこで今日は、ギャラリーや写真のことについて、ゆっくりお話ししたいと思っています。
アンヌマリー・ゼトフ(以下 アンヌマリー):
ナオ(荻野)、今日は呼んでくれてありがとう。どうぞよろしくお願いします。
荻野 :
よろしくお願いします。ではさっそく。アンヌマリーさんは、もともとは写真に限らず、いろいろなアートのコレクションをされていたそうですが、アートの収集をされるようになったのはいつ頃からだったのでしょうか?
アンヌマリー :
私が初めてアートを購入したのは、大学生の頃でした。当時から一緒に暮らしていた夫と、何か素敵なアートを飾りたい、という話になったんです。だけど、まだ学生だった私たちには、アートを購入するための十分なお金がなくて……。
そんなときに出会ったのが、アートをレンタルできるシステム。レンタルをしながら分割でお金を払って、気に入った作品は、そのまま購入できるんです。結局、そのシステムを利用して手に入れたベルギーアートの絵画作品が、私たち夫婦が購入した最初のアートになりました。もう20年も前に買ったものですが、いま見てもすごく価値あるものだと感じます。
大学卒業後、夫は金融関係、私は弁護士の仕事に就き、アートを購入するためのお金も少しずつ増えていきました。でも、裁判で戦う日々を10年ほど過ごすうちに、もっと日頃から、美しいものに触れていたいと思うようになったんです。そこで、アムステルダムの写真学校(フォトアカデミー・アムステルダム)に入学し、写真に関する技術を学ぶことになります。それから数年間、私自身も写真家として活動していたんですよ。
その後、2008年に夫の転勤でロンドンへ移住してから、今度は写真家と別の角度で写真に関わってみたいと思うようになりました。そこで、ロンドンの美術大学院サザビーズ・インスティテュート・オブ・アートで、それまでに学びきれなかった写真の歴史や理論を学び、修士課程を修了します。アートを扱うことをメインの職業にしたいと考えるようになったのも、その頃です。
そしてロンドンで6年間暮らし、2014年夏に、ベルギーのアントワープに移住しました。当時ちょうど、浮世絵のディーラーだった友人が引退を考えていて、ギャラリーの後継人を探していたんです。私たち夫婦も声をかけてもらいました。でも、とても責任が大きいことなので、まずは私たちが本当にアートの世界で生きていくことができるのか、確かめたくなった。そこで、自分たちの写真ギャラリーを立ち上げることになりました。
それが、『IBASHOギャラリー』の始まりです。いまはまだ立ち上げて間もないですが、日本の写真の独特な雰囲気やユニークさを欧米に伝えようと、フォト・ロンドンやアンシーン・フォト・フェスティバル(オランダ)などの国際写真祭にも積極的に参加しています。
つながり、広がるネットワーク
荻野 :
アンヌマリーさんが『IBASHOギャラリー』を立ち上げられたとき、まだご自身は日本を訪れたことがなかったのですよね。
アンヌマリー :
そうなんです。当時はまだ日本に来たことがありませんでした。でも、日本の写真家さんの作品はすでに収集を始めていたんですよ。最初の頃は、森山大道さん、杉本博司さん、荒木経惟さんなど、世界的に有名な写真家さんの作品がメインでしたね。そこで面白いのが、欧米の写真家の作品も含め、私のコレクションの全体をみると、ある共通点が見えてきたんです。それは “Less is more” ── “空白” を大切にする構図でした。
同じように、目に見えない部分の表現に、私がとても感動したのは、2014年のアルル国際写真祭で目にした、瀧澤明子さんの作品集『Where We Belong』。本当に素敵だったので、当時ロンドンに住んでいた彼女に直接連絡をしてみました。すると、アトリエに招いてくださったんです。初対面にもかかわらず、写真のことをたくさん語り合いました。そのときに、彼女からナオのことを紹介してもらったのがきっかけで、私は日本を訪れることになります。
荻野 :
「僕が瀧澤さんと初めてお会いしたのは、瀧澤さんが2014年KYOTOGRAPHIEの出展作家として打ち合わせに来られたときでしたね。実はお会いする前から、瀧澤さんが僕の写真を見てくださっていたんです。そのおかげもあり話が発展して、アンヌマリーさんにもお会いできることになったんですよ。
僕は第1回目、2013年KYOTOGRAPHIEからサテライト展示に参加していて、そのときに京都の便利堂さんという印刷会社とコラボレーションをしたんです。便利堂さんは、日本で2箇所ほどしかできるところがない “コロタイプ” というフランスの印刷技術を扱っていることで有名。瀧澤さんはコロタイプの研究もしている方なので、便利堂さんとつながりがあった。そこで日本に帰ってきたときにちょうど、工房でプリント中の僕の写真を見て、気に入ってくださったのだとか。
アンヌマリー :
2015年にナオに初めてお会いしたときは、さっそく京都のご自宅にお邪魔して、何時間も写真について語り合ったんですよね。当時はギャラリーを始めたばかりで、どうすればいいのか迷うこともありましたが、あまり心配せず、いろいろなネットワークを作っていこうと思っていました。だから、瀧澤さんやナオと出会えたことは、私たちにとってとても価値あることだったと感じています。
荻野 :
僕が2008年に初めてアルル国際写真祭に行ったとき、日本の写真に対する欧米の人々の興味関心は、正直言って薄いものでした。でも、こうやってアンヌマリーさんが日本の写真に興味を持って、日本に訪れてくださったことなども含めて、ここ数年で日本の写真に対する世界の反応は、随分前向きに変わったように感じます。
アンヌマリー :
最初は、やはり森山大道さん、杉本博司さん、荒木経惟さんの作品に対する世界的な評価が高く、そこから日本のアートに関心をもった人も多いかもしれません。いまは、写真に限らず、日本のアート全体が、世界で広く受け入れられ、注目を集めています。
そのなかには、必ずしも日本人作家の作品ではなく、日本の風景だったり、人だったり、“日本” を対象にした欧米人作家の作品もあります。私たち『IBASHOギャラリー』も、“日本” をテーマにしたギャラリーとして、日本人作家さんの作品に限らず、日本にまつわる素敵な作品は、広く取り扱っていきたいと思っています。
ギャラリストとして伝える、写真の価値
荻野 :
アンヌマリーさんは、コレクターそしてギャラリストとして、どのような視点で写真を見ていらっしゃるんですか?
アンヌマリー :
まず一番は、やはり自分の好みかどうか。その次の段階では、ひとつの企業のような目線で作品を見ています。たとえば、今回のKYOTOGRAPHIEでさまざまなポートフォリオを見ていて、一人の面白い写真家の作品に出会いました。彼女の作品はどちらかというとドキュメントタッチのもので、個人的にとても気に入りましたが、私たちのギャラリーにある作品と並べたときに雰囲気が合うかといったら、少し違うような気がしたんです。
結局は、自分のギャラリーに置いて、お客さんに受け入れられ、買ってもらえるかどうかを考えなければなりません。残念ですが、とても良い作品なのに、なかなか売れないというジレンマは、珍しいことではないんです。反対に、私たち夫婦が好きだと思えない作品は、どんなに売れそうなものであっても、取り扱うことはありません。
荻野 :
なるほど。日本では、アートのマーケットがあまり発展していません。アメリカやヨーロッパでマーケットが大きくなった背景には、どんなことがあったのだとお考えですか?
アンヌマリー :
確かに、アメリカやフランスはとても大きなマーケットを持っていて、多くのギャラリーも存在しています。それは、国の歴史が関係しているのではないでしょうか。アメリカの場合は、昔からマスコミが大きな力を持っていて、多くの人がテレビや新聞などで日頃から写真を目にしています。フランスの場合は、写真技術の発展に大きく関わった歴史背景があります。
私たちの『IBASHOギャラリー』があるベルギーでは、いまはまだアートの中心は写真よりも絵画です。でも、アントワープ市内とその周辺には2つの写真博物館・美術館があり、写真ギャラリーも4つあるんです。写真が広がっていくための下地は、もうできています。ベルギーのギャラリストたちが、これからも国際的な写真祭などに積極的に参加し続ければ、少しずつ国内のマーケットも広がっていくのではないでしょうか。
『IBASHOギャラリー』に対するヨーロッパの人々の反応は、とても良いですよ。日本の写真に触れられる場所として、知ってもらえています。お客さんは地元ベルギーやフランス、オランダの方が多くて、なかでも写真を買ってくれた方のほとんどは、ベルギー人。ベルギーはヨーロッパの中心部にある国なので、地理的にもすばらしい場所です。だからこそ、私たちがベルギーで、写真ならではの価値やすばらしさを多くのお客さまに伝えていくことは、国際的なマーケットの発展にもつながるのではないかと思っています。
変化したのだとすれば、それは “声” が聞こえてから
アンヌマリー :
せっかくなので、今回の展示『閒 会』についても話したいと思います。去年、ナオ(荻野)と会ったときに見せてくれた写真は、舞妓さんがテーマのものでした。どちらかというと、焦点がはっきりと合わせられていて、ドキュメント感のある写真でしたね。今回の展示は、また雰囲気が違うようですが、どのような変化があったのでしょう?
荻野 :
皆さんから見てぜんぜん違う雰囲気のものになっていることは認識しているのですが、じつは僕自身としては、大きくスタイルを変えたりしたわけではないんです。先日、写真家のサラ・ムーンさんのワークショップに参加させてもらいました。そこで彼女が言った “Hear own voice” という言葉が、僕自身の変化を表すのに一番近い言葉ではないかと思っています。
まず、彼女がもつ空気はとても静かで、独特なもの。立ち居振る舞いがゆったりとしているんです。そういった雰囲気のなか、とつとつと発せられる言葉は、非常に意味深い。僕がいくつか質問をさせてもらうと、彼女は “Hear own voice” ──「あなた自身の声を聞いて」と言ったんですね。
そして、「その声はすぐに消えてしまう。つかんだと思ったら消えて、消えたと思ったらまたつかんで。私もそんなふうに、はっきりとつかむことがないまま、ここまできました」と。彼女いわく、その声というのは、後頭部のあたりに響くのだそう。その話を踏まえると、ひょっとすると僕は、『太秦』のシリーズあたりから、自分自身の声みたいなものが、聞こえていたのかもしれません。
舞妓さんのシリーズの後に、『太秦』というタイトルで、東映の映画撮影所に4年くらい通って撮っていたシリーズがあるんです。いつのまにか社員証までもらって、アポなしで通っていて(笑)。僕なりにひとつ決めていたことは、映画やドラマを撮影している瞬間は撮らないこと。セットを作ったり、壊したり、どちらかというと裏方の部分をひたすら撮っていました。
太秦の前から、もう18年ほど、京都宮川町の同じ置屋さんに毎月通って撮っている花街の写真も、芸妓さんや舞妓さんが着付けをしたり、準備をしているところを中心に撮っていて……太秦と同じで、本番というか、表舞台みたいな部分はあまり撮ろうと思わないんです。文化が継承される、バックグラウンドの部分に興味があるから。そうやって、僕なりの価値観が生まれていることも、自分自身の “声” によるものなんじゃないかと思っています。
アンヌマリー :
その声というのは、感性や感覚みたいなもので、写真の雰囲気が変わったのは、ご自身の感性も変化したということなのでしょうか?
荻野 :
もし変化したのだとすれば、それはもう変化しちゃったものなので、正直なところ自分ではよくわからないんですよね。変わっていたとしても、それがいまの自分だから。写真を通してみると、確かに違って見える部分があるので、客観的に見ると変化したんだと思います。
僕は、写真を撮るときには、どんなものを撮ろうかとか、あまり決めていないんです。後ほど、撮影したたくさんの写真からセレクトしていく過程で、何を撮っていたのかが見えてくるというか。写真から、自分が何を見ているのかを教えてもらっているというか。ただ、何を撮るか決めていないと言いつつも、ビジョンだったり匂いだったり、抽象的な枠組みのなかでは、どんなものをとらえたいのかっていうのは、いつからか意識するようになったと思います。その時期っていうのが、たぶん、太秦のあたり。アンヌマリーさんが言うように僕の写真が変わり始めたのは、その頃かもしれません。
太秦に通うようになってから2年間ほど、僕は何を撮っているのかもわからないまま、とにかくシャッターを切っていた時期があったんです。そのときに撮った写真を後から見ても、何もとらえていなくて写真になっていないというか。締め切りがあるわけでもなかったので、困ったなと思いつつも、そのときはそのまま撮り続けていました。
そうやってずっと通って、太秦の職人さん方にも受け入れられるようになったころ、知り合いの職人さんの背中を見ていて、ふと「アリみたい」と思ったことがありました。大勢の職人さんが、ひとつの作品を作り上げるために、自分の役割を、淡々とこなしていく。打ち合わせなんてほとんどないのに、それぞれの持ち場の進行具合を見れば、自分たちがどんな動きをすればいいのか、阿吽の呼吸で把握できてしまう。ある意味とてもオートマチックなんです。そんな仕事ぶりを見て、良い意味でありんこみたいだと思いました。
そこで、その職人さんに「君の姿がありんこに見えたよ」と伝えてみたら、返ってきたのは「うれしい」という言葉。その会話をしたころから、僕の目に新しいフィルターができたというか、声が聞こえたというか。そこから、一気に太秦で写真を撮れるようになったんです……これ、説明になってるかな(笑)。
それと、太秦で撮影を続けるうちに、この撮影所は“子宮”みたいだとも思った。撮影所という場所があって、だいたい一ヶ月ごとにものが作られ壊されて、外に出されて。それに、先ほどもメディアの話がありましたけど、映画やドラマなどの物語は、我々の住む世界に多大な影響を与えうるものでもあります。そんな作品たちは、ちょっと大げさかもしれないけれど “神話” の一部とも言えるのではないかと思ったんです。そこから、“神話の子宮” というテーマも生まれました。
光を通して見えたもの
アンヌマリー :
ナオの作品は、とても日本らしさが表れていますよね。そして、作品たちは変化を遂げながら、どんどん広がりを見せている。それから、今回の作品には、和紙を使っていますが、どういう理由で和紙を使うことになったのでしょうか?
荻野 :
さきほど、僕は写真から、自分が何を見ているのか教えてもらうという話をしましたけど、プリントから教えてもらうこともあります。一時期、作品を自分でインクジェットプリントするときに、取り寄せられる紙はできるだけ全部取り寄せて、60〜70種類の紙に、フォトブラックとマットブラック両方のインクで、計120パターンくらいテストプリントをしてみる、というのをやっていました。それをやって、初めて気づくインクと紙の相性があったりして、いろいろな世界が見えてくるような感覚になるんです。その気づきからインスピレーションを受けて、また新しいものを作りたくなることもある。
便利堂さんにコロタイプでプリントをしてもらったとき、同時にいろんな紙を使ってテストプリントをしてもらったんです。それで最終的に一番良かった紙は、雁皮から作られた、すごく薄い和紙。そのとき印刷してもらった写真は全体的に黒っぽい色のものだったにもかかわらず、ベタッとならずに、なんだか奥行きを感じる仕上がりになっていました。きっとそれは、薄い雁皮紙を通り抜けた光が、紙のなかで乱反射しているからだと思っています。科学的に証明したわけではないので、僕のなかでの結論ですけどね。
昔、ふすまの職人さんが書いた本を読んだことがあって、そこには、丸めたふすまの紙の間を光が乱反射していることが書かれていた。そのとき僕は「ふすまなんて、光通さないじゃないか」と思いながらも、職人ならではの視点みたいなものを感じて、印象に残っていたんです。それを思い出して、雁皮紙のほうが断然薄い紙だから、可能性があるなと。展示している写真の裏にはアクリル板を挟んで、光を反射しやすくして、空間を感じてもらえるようにしています。
太秦での始めの2年間、何も撮れていないと思っていたのは、自分自身の “声” に気づいていなかったから。あとでその2年間に撮ったものを見直すと、ちゃんと撮れている写真があるんです。「光で奥行きを出したい」という意識が生まれてから、何万枚もある写真を見ていくと、ぽつぽつと “撮れている” 写真がある。
そのときはわからなくても、その後いろいろなものに出会い、あらゆることを吸収するうちに、見えなかったものが見えるようになっていく。ピカソが『アヴィニョンの娘たち』を発表したときには大変な物議をかもしたけれど、時間を重ねたことで人々の間にキュビズムが浸透して、いまでは大変価値あるものになっているというのも、同じようなことなんじゃないかと思います。サラ・ムーンさんに言わせれば、それも “声” を聞くことなのかもしれません。“声” を聞くことで、過去のものも、いまのものも見えるようになるというのは、とても面白いことだと思います。
これは決して結論ではなくて……そのときの出会いや関わりによって、また違ったものが見えてくる可能性もあるし、数年後には違うことを言っているかもしれません。ただ、いまの僕が新しい “声” を聞くようになったことは確かだし、自分自身の声を聞くっていうことは、これからも続いていくのだと思います。
アンヌマリー・ゼトフ / Annemarie Zethof
https://www.ibashogallery.com/
IBASHOギャラリー(ベルギー、アントワープ)の設立者メンバー兼ディレクター
1971年 オランダ生まれ。
オランダで10年間弁護士の仕事をした後、写真の分野へ転向するため2005-2007年の間フォトアカデミー・アムステルダムへ通いフォトグラファーとして必要な技術等を学ぶ。 数年間オランダ国内で商業写真のカメラマンとして仕事をした後、2008年に夫の転勤に伴ってロンドンへ移住。
2012年から2014年にかけて、マンチェスター大学の写真専攻の修士課程を、提携校であるサザビーズ・インスティチュート・オブ・アートにて修了。
2014年にはロンドンのジェームズ・ハイマン・ギャラリーでインターンとして在籍。
同年8月にベルギーのアントワープに移住し、日本のフォトグラファーに特化したギャラリーを夫のマーティン・ヴァン・ピーターソンと共に設立し、翌2015年3月に「IBASHOギャラリー」をオープン。
同年5月にフォト・ロンドン、6月にブリュッセルのアジアン・アート、9月にはアムステルダムのUNSEENとPAN(写真も含めたアート・フェア)など、数多くのイベントに参加。
(2016年現在)
荻野NAO之 / おぎのなおゆき
https://www.naoyukiogino.jp/
東京生まれ、メキシコ育ち、京都在住。
KYOTOGRAPHIEオフィシャルフォトグラファー。
名古屋大学理学部卒業。 第一回日本写真家ユニオン大賞。
主な参加フェアー
・イギリス:Photo London (2015)
・オランダ:Unseen Photo Fair Amsterdam (2015)
主な参加フェスティバル
・ウズベキスタン:Tashkent International Photobiennale (2008, 2012 ,2014)
(招聘作家作品展、国際写真コンテスト審査員、Master Class講師)
・中国:Pinyao International Photography Festival (2007)
写真展
国内外多数(アメリカ、メキシコ、日本、他)
主な出版物
・英語版写真集 「A Geisha’s Journey」(2009)
・フランス語写真集 「Mon journal de geisha」(2008)
・日本語写真集 「Komomo」(2008)
(2016年現在)
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